この前の記事の続き。記事を書いた後で見つけたので別記事にしました。
さて、以下ちょっとつまみ食いしてみましょう。
考察あるいは妄想と名のつく飛躍。(一応)まじめなものからトンデモまで。
他人の褌で新しい記事をあげる青星です。
さて今回取り上げるはこんな話。
この記事によると
ある調査では、ゲームをプレイする外科医の方が、しない外科医よりも高度な手術を素早く行うことができ、ミスも少ないという結果が出た。
ということを、Gentileという人が発表したそうです。
ゲーム脳とか言われて迫害され続けてきたゲーマーの皆様、朗報!と喜んでいるかもしれません。
女性の視空間能力は男性よりも劣っているという話が結構あります。ほら地図が読めない女とか。空間的なイメージを操作する(たとえば目の前にある物体を頭の中で想像して、頭の中で回転させたり)のは、男性のほうがいいと言われています。
でも、イメージの鮮明度を自分で評定させると、女性のほうが高いんだな、面白いことに。
上の記事では、女性は視空間能力が低いせいで数学や科学が弱い、と述べています。
で、もしかしたら視空間能力を使うテレビゲームで解消できるんじゃね?
ってことを考えた人がいたらしく、かなりいい線で性差が解消されたそうです。
ゲーム経験のない人たちを対象にして実験したところ、最初は性差がありましたが、medal of honorというゲーム(アクションゲーム、恐らくFPS?)を一週間あたり10時間を4週間続けさせたところ、視空間能力テスト(詳しく言えばメンタルローテーション)の成績の差がぐっと縮まったそうです。もちろん、ゲームを経験していない人よりもいい成績でした。
性差が生まれつきのものか、環境要因によるものかはこの結果だけからは分かりません。
ただ、そこの記事で書かれていて笑ったコメントとして。
「能力を伸ばすにも平和的解決が望まれる」とのこと。
私自身はゲーマーなので一概にすべて悪いとは言いませんが、やはり子どもの頃からあまり暴力的なゲームはいかがなものかな、と思わないでもない……。
この話に興味がある人はYouTubeで「bobo doll」を検索してみよう!
追記・ディシディア公式ティーダ来た!
でもどっちかっつっと私的にはオヤジ!
ムービーのオリジナル・日本語ティーダに違和感を感じます……。え、こんな感じだったの?!と。(インタ版プレイなので)
け、結構、棒読み素朴な感じですね。あんまり感情的すぎないってとこがよいのかな……?
ティーダが「俺だけ(かつての)新世代機だもんな!」という自慢げな台詞が聞こえてくるのは私だけですねそーですね。
が、スクリーンショットが最高……「誰に似たんだ」とか「おまえはガキだからな」とかって……オヤジぃい!
しかし、ティーダの同世代機、ヴァンの参戦はかないそうもないのか……!
ちらちらとこのブログの内容を読み直していたら、まあものすごいバイアス(偏向)に侵されていること、とちょっと苦笑。
すべてに情報情報言い過ぎだろう、私。好みがバレバレだわ。はははははは……(超乾いた笑い)
完全に、このサイトを私のメモ書きとして残すのであればよいが、それだったらわざわざブログツールを使う必要もないな、と思わないこともない……うーん、どうなんだろう、いいのかな、こんなんで。
とりあえず覚え書き。最近、私の記憶は飛んでいるので。
FF7、FF9はゆがんだ記憶の物語。FF9の幼児期健忘はともかくとして、ヒステリー(発語を忘れる)のほう。FF7であれば解離性障害(あるいは病的遁走)。
FF8やFF10は忘却する物語。
スコールたちはおそらく記憶が消えても「それがどうした」とGFを使い続けるでしょう。
彼らは記憶がないことをいいわけにはしない。だから記憶喪失というよりも忘却、という言葉がふさわしい。
もっともシドは、孤児たちに戦争で両親をなくしたつらい子供時代のことを忘れさせるために、あるいは敵同士になっても戦えるようにGFを許可したのかもしれない。
そして、ついでに言えば、FF8は未来をなかったことにする。未来を忘却する物語。彼らは知ってしまった最悪の未来を引き寄せないためにも、記憶に意図的な抑制をかける必要があるのかもしれません。あるいは、確定した未来への恐怖を忘れて人々が歩むために。
一方、FF10は過去を忘却する物語。
FF10が好きな理由って、まさにゲーム世界の中であってさえティーダは(記憶という)情報であった、という部分が好きだったのかもしれません。
彼は記憶の外に出ることによって、その記憶を評価する存在、メタ記憶となります。
ま、メタ記憶なんて普段は、ある事実を知っているか知っていないか(たとえばベートーヴェンの電話番号は?と言われたら私たちは「そんなこと知らない」ことを知っている)、記憶についての定量的な判断だけをする部分ですが、ティーダの場合は定性的な判断、つまり意味の部分まで食い込んで判断せざるを得なかった。いや判断というよりもむしろ評価か。
FF10では最後ユウナは「時々でいいから思い出してください」とつぶやくものの、実質的にはFF10は、ザナルカンドの膨大な思い出を消滅させる、すなわち忘却を求める物語です。また本来は、彼女の想いである少年をも諦めさせる物語でした。
そのせいで、彼女はその小さな言葉の中で、実は、スピラに対する小さな裏切り、あるいは世界に対して復讐を始めた。それが10-2の(本来行うべきではない、ザナルカンドの死者の思い出である)ティーダ呼び戻しにつながるといったらうがちすぎな後付解釈もいいところ。
追記:web拍手やFanFicにいただいたご感想についてのお返事は下のサイドバー(なんか変な言葉ですが気にしないでください)からいけるようにしました。ご確認くださいー。
(D様、メッセージありがとうございました!)
現実逃避でホロウバスティオンの音楽を思い出しつつ。(初めて聞いたときからすごく好きな曲でした)
キングダムハーツにおける眠りは、すぐに「不在」に直結しますよね。
……ということをふと思ったのでした。
前に、KHは強烈な心身二元論と書いた記憶があるんですが、本当は心一元論なのかも。(そんなことばあるんでしょうか)
ある人の精神活動が停止すると(たとえばソラが忘却の城で一年眠りにつくと)、ディスティニーアイランドの人々はソラのことをすっかり忘れていました(カイリですら!)。ソラという少年の存在がなかったことになっています。逆に、故郷に帰れば(これは能動的な行為であり、同時に自分が情報を維持し続けていることでもあります)彼はすぐに思い出されます。
つまり、自ら情報を絶えず維持し続けないと存在できないという過酷な世界ですよね(私はここにものすごく違和感を感じたのですが)。
そう思えば、アクセルの口癖が「記憶したか?」であるのも、なんとなく納得できる気がします。Nobodyと呼ばれるほどに存在が薄いのだから。記憶の共有化によって、存在を確かにすることしかできない。
で。ホロウバスティオンとは「空虚の砦」。
オーロラ姫はKH2では姿を現しません。そして、レオンたちは全くオーロラ姫を意に介していません。
彼女は眠り続けているのでしょうか?
あるいは、彼女が眠っている時間にのみ、(そのおとぎ話世界(眠り姫世界)の支配者である彼女の不在時の隙(うつろ)を狙って、または彼女の見る夢の中で)、彼らは存在することができるのでしょうか。もしくは、眠り姫の物語はまだ完結していないのかもしれません。
セフィロスも、クラウドの心的情報(闇)が具現化したものと自らを言及します。
KHにおけるキャラクターのほとんどは、「純粋に、情報のみで成立する存在」なのでしょう。
でも、これってシニカルにいえば、本当のことなんですよね。本当に彼らはゲームのDVDというメディアの中でしか存在しないんですから。紙の上にさえない。本当に、純粋に、彼らはおとぎ話です。
KHでは、ある種のメタ的な(神様的というと語弊がありますが、キャラクターより一次元上の)視点をいつも意識させているような気がしてなりません。それが露骨に出てたりするのが、意外にも、プーさんワールドだったりするんですが。
例外があるとするなら、恐らくカイリ。
カイリはホロウバスティオン時代、おばあさんから「子供たちが光を集めて世界を救った」というおとぎ話を聞いたと、かすかに語られています。
彼女のみ、すべてがおとぎ話(かたちとして実在しない、情報なるもの)であることを知る「一次元上」の存在かもしれません。
おとぎ話世界を破壊する「こころのないもの」、ハートレスとノーバディ。おとぎ話を読む「こころ」がなくなってしまったことを暗示するのでしょうか。
ホロウバスティオンは、いまだ壊れたままです。
しかし、ホロウバスティオンはもともと「光の庭」。FFのキャラクターたちはうつろの城を光で満たそう(=復興して光の庭にしようと)としています。
真に「光の庭」となったとき(物語が完結したとき)、カイリはホロウバスティオンに戻れるのかもしれません。
(そしてFFのキャラクターたちはきえてしまうとか。なにせ、最後のファンタジーですからね。)
ついでにいえば、ソラ、空であり「空ろ」。
完結して、記録された(記憶された)物語。(鍵穴を閉じる行為は、「その世界の創造が終わったこと」を意味しているかもしれません)
それらはもはやカイリ(か、同等の次元の存在)が読むことによってのみでしか、存在しえないおとぎ話たちです。
なんか思いつくままにだらだらと書いたので全然整理できてなくてすみません。フィーリングで読んでください。
ただ……、カイリの”異世界に飛び込んだ夢”オチという身も蓋もない結論……にだけはせんといてくださいスクエニさまー!!