情報のみで成立する存在

現実逃避でホロウバスティオンの音楽を思い出しつつ。(初めて聞いたときからすごく好きな曲でした)
キングダムハーツにおける眠りは、すぐに「不在」に直結しますよね。
……ということをふと思ったのでした。

前に、KHは強烈な心身二元論と書いた記憶があるんですが、本当は心一元論なのかも。(そんなことばあるんでしょうか)
ある人の精神活動が停止すると(たとえばソラが忘却の城で一年眠りにつくと)、ディスティニーアイランドの人々はソラのことをすっかり忘れていました(カイリですら!)。ソラという少年の存在がなかったことになっています。逆に、故郷に帰れば(これは能動的な行為であり、同時に自分が情報を維持し続けていることでもあります)彼はすぐに思い出されます。
つまり、自ら情報を絶えず維持し続けないと存在できないという過酷な世界ですよね(私はここにものすごく違和感を感じたのですが)。
そう思えば、アクセルの口癖が「記憶したか?」であるのも、なんとなく納得できる気がします。Nobodyと呼ばれるほどに存在が薄いのだから。記憶の共有化によって、存在を確かにすることしかできない。

で。ホロウバスティオンとは「空虚の砦」。
オーロラ姫はKH2では姿を現しません。そして、レオンたちは全くオーロラ姫を意に介していません。
彼女は眠り続けているのでしょうか?
あるいは、彼女が眠っている時間にのみ、(そのおとぎ話世界(眠り姫世界)の支配者である彼女の不在時の隙(うつろ)を狙って、または彼女の見る夢の中で)、彼らは存在することができるのでしょうか。もしくは、眠り姫の物語はまだ完結していないのかもしれません。

セフィロスも、クラウドの心的情報(闇)が具現化したものと自らを言及します。

KHにおけるキャラクターのほとんどは、「純粋に、情報のみで成立する存在」なのでしょう。
でも、これってシニカルにいえば、本当のことなんですよね。本当に彼らはゲームのDVDというメディアの中でしか存在しないんですから。紙の上にさえない。本当に、純粋に、彼らはおとぎ話です。
KHでは、ある種のメタ的な(神様的というと語弊がありますが、キャラクターより一次元上の)視点をいつも意識させているような気がしてなりません。それが露骨に出てたりするのが、意外にも、プーさんワールドだったりするんですが。

例外があるとするなら、恐らくカイリ。
カイリはホロウバスティオン時代、おばあさんから「子供たちが光を集めて世界を救った」というおとぎ話を聞いたと、かすかに語られています。
彼女のみ、すべてがおとぎ話(かたちとして実在しない、情報なるもの)であることを知る「一次元上」の存在かもしれません。

おとぎ話世界を破壊する「こころのないもの」、ハートレスとノーバディ。おとぎ話を読む「こころ」がなくなってしまったことを暗示するのでしょうか。
ホロウバスティオンは、いまだ壊れたままです。

しかし、ホロウバスティオンはもともと「光の庭」。FFのキャラクターたちはうつろの城を光で満たそう(=復興して光の庭にしようと)としています。
真に「光の庭」となったとき(物語が完結したとき)、カイリはホロウバスティオンに戻れるのかもしれません。
(そしてFFのキャラクターたちはきえてしまうとか。なにせ、最後のファンタジーですからね。)
ついでにいえば、ソラ、空であり「空ろ」。

完結して、記録された(記憶された)物語。(鍵穴を閉じる行為は、「その世界の創造が終わったこと」を意味しているかもしれません)
それらはもはやカイリ(か、同等の次元の存在)が読むことによってのみでしか、存在しえないおとぎ話たちです。

なんか思いつくままにだらだらと書いたので全然整理できてなくてすみません。フィーリングで読んでください。

ただ……、カイリの”異世界に飛び込んだ夢”オチという身も蓋もない結論……にだけはせんといてくださいスクエニさまー!!

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