FF8が好きな理由2:物作りへの愛着

理由と書いてわけと読む。
FF8が好きな理由2、物作りへの愛着です。
今回のTalkは前回のTalkとちょっと絡んでいますので、興味ある方はそちらもごらんになってくださいね、クリア後に
ついでにきまじめだけど妄想度はよりアップするのでお覚悟を。

前回のTalkで、FF7やFF10の図式は「コピーがオリジナルを超えることによって自らオリジナルになる、自我を確立する」という仮定を打ち立ててみました。
成長物としては無難…というと言葉が悪いですが、恋愛物のパターンはある程度は一緒というのと同じで、道具立てや世界は違っても、大きな流れにおいて共通性が見られます。

しかし、前回述べたようにFF8の最終的な敵は自我(オリジナルであること)確立のために必要な存在ではありません。
ならば「オリジナルであること」を証明するエピソードはないのでしょうか。
恐らくその答えはであり、FF8ではやや変則的な形で現れていると私は思います。
「物作りへの愛着」として。

FF7やFF10は破壊の目立つゲームです。
テロ、旧弊な価値観の破壊。もちろん、無でないのなら、創造の前に破壊があるのは当然です。

それに対し、FF8では「作り出す」ことが目立つシナリオになっています。FF7の「破壊」を受けたことによって、次作であったFF8では「創造」へ目を向けたというのは…考えすぎでしょうか。
FF8では壊すべき価値観はほとんどありません。(壊す必要があるのはスコールの心の壁くらいか(笑))

ティンバーのレジスタンス「森のフクロウ」も、FF7での「アバランチ」に比べれば、……まあ、言いたいことはおわかりでしょう(笑)。だいたいあんなのほほーんとした姫様(リノア)がいらっさるくらいですから。

FF8では面白いことに、複数の「物作りを愛する人びとのコミュニティ」があります。
エンジニアばかりのフィッシャーマンズ・ホライズン、ツクリテなる者がいるシュミ族の村は確定、恐らくエスタも入るでしょう。

さらに、それらの物作りは、ゲームを進める意味はあっても(いや、ないかも……)、スコールたちのバトル(すなわち破壊行動)にはほとんど役に立たないものばかりでした。武器や防具、便利なアイテムを作って提供しているわけではないのです。
つまり、破壊のための創造行為ではありません。
しかしそれらは誰かのコピーでは決してない。彼らはものを作ること=originateを、楽しんでいる。
彼らは彼らしか作れないものを作ることでオリジナルであることを、証明することが出来るのです。
……そう、作品を作る人には理解出来るでしょう。たとえそれが拙いものだと分かっていても(ま、これは自分の話ですがね)、「これは自分が作ったものだ」という強い確信と強い愛着を持つ。
その作品も、自分が自分であることの証明のひとつ。

この「創造することの喜び」は、実はゲームを作っている方のストレートな思いなのではないか、と私は勝手に解釈しています。分析する・使いこなすももちろん楽しい作業でしょう。
でも創造の喜びに優るものはない。ゲームを作っている人びとのプライドをかいま見ているような気分にもなります。

だからなんだ、と言われてしまいそうですが、このTalkは「私の好きな理由」だからと開き直り、「それがいいんだ」と言い張ります(笑)。オリジナルなものを作り出すことへの強い憧れが自分の中にあり、だからこそ、物作りを愛するキャラクターたちの、一見ゲームの本筋とは無関係に見える「物作り」への愛着に共感を覚えるのです。

では、スコールは単に破壊しただけで、何も作らなかったのでしょうか。

そうではありません。
彼はゲームの中ではもっとも大きなものを作りました。
「運命が決まっていてたまるか」と呟きながらも、彼に繋がり彼と共にある人びとの運命よりも、はるかに「自らの手によって」創造した運命を。
大きく時間のループを描いて。

SeeDの真なる創始者。そこからSeeDは生まれ、増えていきました。
まさに、彼は「Seed(種)」だったのです。

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