それまで、彼は世界の理について何ら疑問を抱いたことがなかった。
彼にとって、世界の理とは、いつからかは知らないが長い時間、それによって形作られた小さな共同体、掟、因習だった。やせた土地で、男どもは狩猟に精を出し、女どもは採集し、わずかばかりの畑を耕し、糸を紡ぎ、機を織る。それだけで全てだった。疑問を抱く余地などなかった。彼はきわめて従順で単純な人間だった。
だから彼は、決められたとも思わないうちから村一番の狩人について石ころだらけの山を駆けめぐった。弓の手ほどきを受け、剣さばきを学んだ。物陰で息を潜め獲物に狙いを定めることも、食べられる草の見分け方も、生きるために必要な技と生きる上で基にする誇りも。
十を一つ二つ超えた頃には村で三本の指に入る狩りの巧みな少年になっていた。師が足を痛めた後は、その弓矢を譲り受けて彼は獲物を仕留めた。村に帰ってくると、彼は最初に、黒髪の少女に獲物を見せた。彼女はきまって微笑み、彼の腕前を褒めた。村の誰もが彼の技量には感嘆したが、彼は彼女の素朴な言葉のほうがなんとなく嬉しかった。彼女の髪のにおい、彼女の澄んだ声、彼女の白い肌、彼女のやわらかな腕、彼女の繊細な吐息、彼の持ち得ないそれらを持った彼女を、見つけることはいつでもたやすかった。誰よりも遠くにいても、彼女の像は村の情景からすぐに浮き上がってきた。
彼が十六になったとき、師は死んだ。そのとき既に彼は村一番の狩人だった。師は見事な毛並みの黒い子馬を持っていたので、彼が受け継いだ。彼は子馬と寝食を共にし、しつけた。少女が時折彼の小屋を訪れ、その子馬の鼻面を撫でていった。彼女が出て行った後、彼はそっと子馬の鼻面に手を寄せた。子馬は彼と同じようにすくすくと成長し、やがて立派な若馬になった。彼は馬に乗って、より遠くまで狩りに出かけ、より大きい獲物を村に持ち帰った。彼が狩りに出るときは良い飯にありつけると村人たちはありがたがった。
もっとも、彼はほんの少し自分の獲物を隠していた。それを時に他の村まで売りに行った。最初のうちは安く買いたたかれたが、相場が分かってくると彼はそこそこの値段で獲物を売りつけることが出来るようになった。こうして彼は少しずつ金を貯めた。行商人が持ってきた見事な銀の腕輪を少女にやるために。
彼が狩りの技量をどんどん上げていくのとは逆に、村はどんどん貧しくなっていった。山は朽ち動物は去り、あるいは骨となって転げ、畑の作物はからからに乾いた。お前の腕が良すぎた、だから獲物がなくなった、と村人は非難した。
彼は捕ってもよい”ほど”を理解していたから、村人たちの言い分は理不尽だった。しかし言い分が正しくなくてもさらに遠くまで行って獲物を探さなければならなくなった。狩りの帰りには日がとっぷりと暮れることもたびたびあり、馬が恐ろしがるのでぽんぽんとやさしく叩いてやらねばならなかった。
ある日狩りに出ようとした彼を、黒髪の少女が行かないでくれ、と懇願した。彼は首をかしげてどうしたのかと尋ねた。彼女はその柔らかい腕で彼を力一杯抱きしめて、なんだか怖い、いつもと違ってみんなが自分をじろじろ見るの、と囁いた。彼は首を回して辺りを見た。数人の村人たちが焚き火の跡の周囲でなにやらごそごそと話し合っていたが、彼が見ているのに気づくとわざとらしく視線をそらした。
しかし、今日はどうしても行かなければならないのだ、と彼は少女に言い聞かせた。食べるものもほとんど尽きた。冬の毛皮も必要だ。それに、この日を逃すと行商人は遠い南の国へ帰ってしまうのだ。
なるべく早く帰ってくるから、と彼は約束して愛馬にまたがった。それでも彼女の不安そうな表情は消えなかった。彼は振り返りながらも自分の村を出た。
狩りはうまくいった。彼は狩りを初めてから一番大きな獲物を仕留め、気をよくして行商人のいる村へ向かった。獲物は思ったよりも高く売れたので、行商人を捕まえてとびきり細工の凝った銀の腕輪を買った。そして、この腕輪を約束の品に、今日こそ少女と一緒になるよう頼むのだと心に決めて、馬を急かして故郷の村に帰った。
だが、帰ったときには全てが終わっていた。彼女は村の中心に作られた仰々しい祭壇の敷布の上で横たわっていた。まるで婚礼衣装のように無垢の衣を着せられ、見たこともないほど青白い頬をして。
彼は馬から転がり落ちるように飛び降り、少女に駆け寄った。しかし、彼女は彼が戻ってくるときの安堵の溜息もなく、血の気もなく、彼女のにおいもなく、魂もなかった。
どういうことだ、彼女に何をしたんだ、と彼は村人たちに詰め寄った。
すまないと思っている、と一人が言った。お前がこの娘を好いていたのは分かっていたが、このまま天が怒り続けたら我等全員滅びてしまう、贄が必要だったんだ、どうか許してくれ、と顔を歪めた。
でも、お前もいけなかった、とまた他の一人が言った。お前が獲物を狩りすぎたから、天は怒り、我等の土地は恵まれなくなった、だからお前が贄を差し出さねばならなかったのだ、それがこの娘だ、天の怒りを説いたら、娘は聞き入れたぞ、と。
お前、今日は大物を捕ったんじゃないのか。馬の毛づやがいいようだ、獲物を売っていいまぐさでも買ったんだろう。
その言葉で愕然とし、彼は目を見開いた。確かに、彼はその日、狩りを初めてから一番の獲物を狩った。それが少女に拠るものだというのか。
彼は唇を噛んだ。そして、初めて世界の理を疑った。
共同体の掟と因習を守っているならば、民は守られているのではなかったのか。誠実に生きている者に対して天は報いるのではなかったのか。なのにこのざまはどうだ。彼女の言葉を聞き入れなかったばかりに、彼女は魂をなくしてしまった。自分がいい気になって大物を仕留め、金を儲け、銀の腕輪を買っている間に。
彼は踵を返した。どこへ行く、と焦る声が背中に飛んできた。
祠に奉られている剣を取る、と彼は決然と告げた。
まさかお前は古の地に向かうつもりなのか? それは固く戒められている。駄目だ、決して踏み入れてはならない。
突然彼は矢をつがえ、村人たちに向けた。止められるものなら止めてみせろ。行く。
彼は矢を放った。狙い通り、大きな弧を描いて矢は古ぼけた祠の屋根に落ちた。
なんと不敬な。天を恐れぬ所行を。皆がどよめき、幾人かは拳を振り上げたところを、式服を身につけた長が腕を伸ばし、村人たちと彼の間に入った。
行かせてやれ。せめて慰みにはなるだろう。……どうせ、たどり着けまい。
彼は睨み付けた。贄を捧げた長を、彼女を贄に差し出した臆病な者共を、それを止められなかった無力な者共を。弓を背負い直すと、彼は歩き出した。村人は口を噤んで前を空け、祠への道を開いた。
彼は祠の扉を開いた。そこには、彼がちょうど扱えるほどの大きさの剣が埃をかぶって納められていた。彼はそれを取った。錆び付いた鞘から刃を抜き、天に振り上げた。贄の祭壇の両脇に赤々とたきつけられた松明が映って血の色で閃いた。検分したところ、時を経た刃はなまっていた。彼は気にせず腰に提げた。
彼は再び祭壇のもとへ戻り、少女の頬を静かに撫でた。
すまない。彼の目を伏せた悲哀と小さく呟かれた言葉は誰にも届かなかった。だがそれこそが彼の真意だった。
悔恨は一瞬で内に秘めると、彼は鋭い眼差しで決意した。
必ず君を取り戻す。
彼は、丹念に織った模様の敷布ごと少女を抱き上げて馬に乗せた。馬は小さくいなないた。同意してくれるように思えて、彼は愛馬に向かってのみわずかに目元を緩めた。
世界の理など知らぬ。ただ、失われたことだけが事実だ。
必ず取り戻す。たとえ、理が壊れようとも。この命が潰えようとも。
彼は長い長い旅をはじめた。
久し振りに「沸いてきて書いた」ものですよ~。ちょっと嬉しい。
短いながらも、原稿用紙で9枚以上はあるようで。もちろんいつものように一発書き(笑)。日本語として変なところがいろいろあったらつっこんでやってください。
なお、これは私の「ワンダ」であり、他の方のワンダとは異なると思います。それこそがICOチームの真骨頂。それぞれのワンダがいて、アグロがいて、少女がいる。面白いねえ。
さてワンダと巨像、9、10体目。いよいよ攻撃が激しくなってきます。
9体目はまた何時間かけたかと……。時折ヒントを与えてくれる天の声、実は二種類ある場合もあることも判明。いや、9体目の足を止める方法はなんとか分かったんだけど、なにせテキさん強い! 攻撃を避けても一気にHPが半分持って行かれます。アグロはひひひーん!と逃げ回りますがそんな中で呼び寄せて(鬼)乗って逃げまくるワンダ。
おびき寄せるのがほんっと大変で……。中途半端に近づいてくるので、何度かやり直しましたよ……そして、久方ぶりの3D酔い。うげー。
「支えている足をねらえ」というので足止めしたときに果敢に足に飛びつこうとしますが駄目。あれ、でも足の裏光ってる? ちょいと矢を放ってみようか、と思ったらコレがあたり。し、しかし、どこから飛びつきゃーいいのかわからんぞ……あああ、間欠泉がすぐにストップしてしまう。来いアグロ! 逃げるぞ!
ということを何度か繰り返して漸くクリア。うう、3D酔いが……!!
10体目は砂を這う蛇型巨像。
簡単に巨像を見つけることは出来てしまい、思いがけなく戦闘開始。なんとなく一日一体ずつくらいかなーと思っていたんですがつい。
そ、それにしても砂埃をずだだだと巻き上げて襲ってくる姿はかーなーり、怖いぞ。ぶつかったら一気にHPが落ちるし。「お前の足では逃げられぬ」……えーそーですよ、どーせ俺はトロいですよ、と、すねたワンダは恐がりアグロを呼びつけてたったかたったか走る。アグロに走らせておいて、自分は弓をつがえてばんばん打ちますが……どうすりゃいいんだよー!
いつしか追いかけられる形になり、アグロを全力疾走させて、黄色い目を打ってみたところ。
当たった!
そのまま巨像は壁に激突して止まります。んで、せっせこ弱点一つ発見して突き刺し終わったところでまたもや追いかけっこ。戦法は理解したのでまた目を打ち、突き刺し……。
あっさり終わってしまいました。9体目であれだけ苦労したのに……!
戦い方がルーチンになるという意見はちょっとごもっともかも。
それでも何とも切ない禁忌を冒す物語の基盤に、切ないほど美しい世界を駆けめぐっていることで、もやのようにストーリーができあがってくるのです。決して細かいところまでは設定してはいけない(それはプレイヤー個々人のものだから)、そんなストーリーが。
そうだそうだ、ゲームの物語としてはICOと「ワンダと巨像」どちらが良いかはまだ決めかねますが、ゲームとして面白いのはワンダのほうですね。ICOは城というガジェットを動かす楽しさがあるという感じかな。
ところで本来Scribbleに入れるべき話なのですが、非常に考えさせられる記事があったのでいくつか張っておきます。
一次創作者と二次創作者の遭遇
我慢の喫水線ということ/「許さざるを得ない、って所が」
自分自身、許可なく二次創作している身ですので、何らかの意見を主張する権利があるわけではありません。一応個人的線引きがありますが、多くの方とは意見が異なると思いますので表明はやめておきます(笑)。
FanFicページのポリシーから推測していただければと。