とりあえず無理矢理にでも書いてみることにします。
KHシリーズ、結構評価改めました。怖さは相変わらずありますが、面白くなりましたね。
で、ネタばれあり。
Re:CoM
とにかくシステムが面白い……!
ボタンガチャ打ちでは勝てず、カードを組み合わせて相手のカードより大きい数を出していかねばならない。で、ついそれに夢中になっている間に、攻撃を避けられずボロボロやられてしまう。こ、このハードなマルチタスク……!!
ソラ編
最初は「絶対ダメだー!」と思っていたし、カードの組み合わせを考えて並べるカードデッキの整理は正直面倒くさいのですが、最後のあたり、強いカードがずらりと並ぶとかなり面白い感じです。
でも、13階のドナルド+グーフィー+ソラの組み合わせ「トリニティリミット」、あれ反則だろ(笑)。強すぎ。
まあ、あの階のハートレスはしぶといので、ちゃっちゃと倒すに限りますが。
そして、ICOやワンダのせいで、あの手の影は怖いのですよ……(笑)。恐怖刺激の般化。
最初のうちは「うーん~」と怖さがあったのですが(KHで感じた通奏低音と同様のもの)、その後謎が解けて、ツクリテのゲーム上で持つ「心」の概念が透けて見えてきたところで、「なあんだ」ということに(アレ?)。
面白かったですよ。
たとえウソの記憶でも、その時感じた感情はホンモノなんだ!とか。
けれど記憶の歪みの設定については二、三言いたいことがあります。
たとえば、ナミネのことを忘れてしまう、ということですが、ナミネによってつなぎかえられた記憶と忘却の城で実際に経験した記憶って別物ですよね。
なのに、どうしてナミネのことまで忘れてしまう(設定的な)必要があるのかいまいち分かりません。設定として、不要じゃないか?
つまり、ナミネがいじくったところだけつなぎ直せば直せばいいんじゃないの?
だいたい、いじくった記憶の時期と、経験する時期(=今)と、時間軸違うし。そういった意味で、そもそも、ナミネによって作られた記憶(偽の記憶)と、忘却の城で経験した記憶は全然別次元じゃないですか。
もっとも、これでうまいなあ、と一番思ったところは「忘却の城」という設定なので、CoMをプレイせずともいいですよ、だって忘れてるんだしねえ、という商業的な戦略(笑)だったりします。
で、アクセルの口癖「記憶したか?!」
多分、これがキーになってきそう……。
リク編
こちらはカードデッキが固定なので苦労したよーな、そうでもないよーな……。
最初のうちはカードデュエルが滅茶苦茶苦手でした。というのは、いちいち相手のカード以上の数を探していたから(←アホ)。時間切れになるわなそりゃ。
でも、「手元にあるカード全部出していけばいいんだ」と思ったら、カードデュエルが楽しくなりました。
で、結局アンセムもデュエル連発で倒しました。
アンセム、デュエルなかったCoM版の人、どうやって倒したんだろう!
内容としては「影もいいね」あ、違った「闇もいいね」な話でした。
で、こちらではさらに突っ込んだ、なかなか面白い話が出てきます。
ソラ編でもリク編でも、「リクのレプリカ」が出てきます。
リクとは違い、闇の力を恐れず揮う少年。でも、あることをきっかけに自分の作られた経緯を忘れ、「ウソの記憶」をナミネによってすり込まれます。
そのうちにその記憶をも偽物だと知らされ、自分は全部「体も心もみんな偽物」と思いこんでいます。
で、ここからが興味深い点。
最後にリクに倒され「俺の心はどこに行くんだろうな」と呟いたとき、リクは「俺と一緒のところさ」と答える。
恐らく、彼の言う「心の戻る場所」は「キングダムハーツ」なのでしょう。
となると、彼はレプリカの持つ、とある傾向(態度や振る舞い、言動で示されるもの)を、「心」と認めていたことになる。
これについては、さらに続きます。
Kingdom Hearts II
いきなり主人公が違うぜー!!
夏休みだぜー!!
しかもあと一週間だぜー!!
あの「もうお休みが終わってしまう」切なさが、主人公の切なさをより相乗的に大きくしますね。
懐かしいなー(笑)。
ともかく。
私、ハートレス叩くときの、「ゴムボールを叩いているような感触」というのがすごく空しく感じてしまうんですよ。たとえて言うならプラスチックの棒で、テニスの軟球みたいなものをぼんぼん叩いている感じ。一応はじけとんでしまいますが、次から次へ出てくるので、ゴムボールの弾力性で棒が戻ってしまい、結局ボールは無傷、という感じの徒労感が繰り返される……。
つまり、爽快感がない!
そうか、だからKHが苦手なのか!と目から鱗でした(笑)。
しかも、やたらと叩くだけですよね。ひたすら、叩く叩く叩く!
ということで、そのむなしさがどんどん倍増していくんですよ……。
モトイ。
ロクサスの過ごす一週間はなんか本気で切ないな……。
で、ここから妄想爆発、行きますよ。
ホロウバスティオン抜けて最初の花木蘭のところ、とほとんど進んでいない状況で、推測バリバリで書きます。間違っていたら笑っておいてください。
(ちなみに花木蘭は高校時代に田中芳樹はよんだが(しかもえらいつまらなかった)、ムーランは見てない(笑)。)
KH2では、「ノーバディ」という存在が明らかになります。
心があるかのように振る舞うが、心を持っていないという存在。
それはソラたちにとって既に「前提」となっています。今のところはね。
さてここでひとつ、質問。
我々人間が、話している相手でもなんでもいいですから「心を持っている」と思いこめる理由はなんでしょう?
人間だから、という答えじゃ理由になりません。
だって相手の心、読めないでしょ? あるかどうかなんて分からない。
ただ、我々は「相手に心がある」という偏見があるからこそ、コミュニケートしているわけですよ。もしかしたら自分以外、心を持っているというのは幻想かもしれないんですよ。
なのに、ノーバディはどうして心を持っていない、と言えるのでしょうか。
心を持っているのではない、振る舞って見せているだけだ、となぜいえるのでしょうか。しかも、彼等自身「振る舞っている」とそう思いこんでいる。。
で、私が思い出したのは機械が心を持てるか、という話。
「故障したところをイタイといえば、機械は心を持っていると言える」と言った人もいます(笑)。
うぉーそんなのしんじねぇ~!という人もおられるかも。
でも、人間が相手に、心を持っているか否かを認めるなんて、その程度の「偏見に過ぎない」のかもしれませんよ。
機械が心を持つ持たないの判定はチューリング・テストという方法によって行うという意見があります。
「筆談(チャットでも可・とりあえず相手の姿を知覚出来ない状況で)を行い、それがコンピュータだと全く見破れなかったら、そのコンピュータを、心を持っていると認定する」ってなもん。*未だこれを破るコンピュータは出来てないみたいですよ。コンテストもあります。
日記で中国語の部屋~とか言ってたのは、このチューリング・テストの反論で出てきたもの。
(チューリングテストの名前の元になっている「アラン・チューリングさん」は、第二次世界大戦で暗号解読に多大な成果を挙げた人だったり万能機械というものを考案したり(机上だけどね)と、とんでもない数学の天才でしたが、同性愛者だったのがばれて最後はいじめられて、自殺してしまいました……(TT))
けどワタクシ、この手の議論はまったく明るくないので、馬脚を現す前に退散しておきますが(笑)、とりあえず、ここで設定した「心」とは、チューリング・テストとは異なり、単に「心があるように振る舞う」だけでは心と認定していないんでしょうね。
ならばどうやって「心がある」と認めるかどうか、について、ぶっとんだ妄想をしてみるならば……それは彼等の言うところの「記憶」ではないでしょうか。
自分のものと言える記憶があるかどうか。生い立ちがあるか。大切な記憶があるか。
アクセルが「記憶したか?!」と癖のように問いかける理由を、自分はそう推測しています。
(でもこの推測がもし正しいとしたら、現実に戻してみたら、じゃあ、記憶喪失の人、心持ってないのかよー!というツッコミをしたくてたまりませんが)
もういっちょ。
面白い対比があります。
ソラたちはノーバディという存在を「心を持たない存在」と最初から決めつけている。(まあ、KHは強烈な心身二元論ですから~)
一方、先ほども言ったように、リクは偽物、作られた存在であるにもかかわらず、レプリカを「心を持つ」と見なしている。
ソラたちはこのチューリング・テスト的な「思考する心」を全く認めていないのに対し、リクは逆にチューリング・テストを受け入れているような印象があるのですよ。
今後KH2がこの手の話をしてくれるのだろうか……!とわくわくしつつ、でもディズニーの世界じゃ無理やろか……と思っている今日このごろ。
追記:コメントでいただいた「心が機械的活動」との関係ですが、ここで言いたいこととはちょっと違います。
心が機械的であることと、機械が心を持てることは、それだけでは可逆的な関係と言えないですから。
追記その2:スコールかっこよくなったよね?
あ、今はKHをお休みしてFF12RWです。
最初の方のパンネロの台詞にどーん!とテンションが下がったのですが、私の数少ないDS体験の中では一番面白いかも。今、合成屋とネミングウェイが出てきたところ。
ネミングウェイ、イイ! パンネロの代わりに欲しい!