久しぶりにビサイドで寝とぼけていたティーダをたたき起こして、キーリカまで来ました。つぎはコケラエキュウ戦です。もきゅう。
なんか早いなあ。
(そりゃーFF12のZJSでダスティア100匹以上狩っているのんきさとはくらべものにならん)
ティーダはやっぱり可愛いです。
ティーダは大都会育ちの少年のくせに、むしろ田舎の少年(田舎でちょいともてはやされて可愛い感じで天狗になってるタイプ、でも根っこはものすごくまっすぐて熱血、都会育ち、という響きに含まれるようなひねた感じがない)のように見えて仕方がないのは私だけでしょうか。
で。
時間が経ったせいか、少し引いた目線で、FF12と妙に比較しながらプレイしています。
話の中身の良し悪しは別として(好みがありますからね)、FF10には流れがある。
FF10の流れるような進み方が好きな人はFF12駄目だわ、きっと……。
FF10では、つぎつぎと「今度はこちらですよー」「あちらですよー」と懇切丁寧にガイドして、話を進めてくれる。伏線(と言い切ってよいものかちょっと不安ですが)を割と早い段階で回収しつつ、次の展開を提示していく、という感じ。非常に滑らかで、これが一本道と呼ばれている理由でもあるんじゃないかな。
逆に、流れのお蔭で、ものすごくまとまりのいい作品になっているとも思います。
やはりFF10は、革新的というよりは集大成的な作品なのじゃないかな、とふと思いました。
でも何が集大成的なのか自分でもよく分かっていません。
一方、FF12は話は後でもついてくよ、基本的に「バトルやってれ」タイプで、いい加減もうやめてみようか、「んじゃ先行きますか」というもの。
というよりも話ブツ切れ。内容としてはとてもシンプルだし、きちんとまとめていくとちゃんとうけることも出来るとも思うんですが、FF10の懇切丁寧な親切さはちょっとない。それぞれの話の連関がすごく弱い。太陽石はイベントとしては関係しているでしょうが、本当にそれだけの話で終わってるし、モブ退治が入ってくるというのも、ほとんど本筋のストーリーに関係がない。(FF10ではストーリー間の連関が強いと思いますよ)
まあ、そーゆーのが好きなんですけどね(末期)。
だって本当だったらそんなものでしょと思わないでもない(笑)。「物語」という状況は、登場人物、それぞれのイベント間に実際以上の関係がありすぎて、ある意味異常事態であると思えるので。
一介の少年ヴァンがラスボスと直接見るのは、最初に見かけたときと最後のシーンだけ。でもそういうほうが実際リアルに近いと思います。(コミックスのほうで、リアリティがないが、説得力を増すためにあるイベントが仕込まれている、というのはこのことです。物語の文脈っちゅーかそういうものにより則ったものになっている)