FF13の説得力について

久々に更新です。某ついったで全然関係ない内容で遊んでいたら、長文を書くのが面倒になってしまって…こちら、実を言うと八月には書き始めたものだったんですが、気力が続かず、今回えいやっとまとめてみました。

というわけで。
FF13シナリオ確認のため突っ走りつつ先日二週目終了。バトルは相変わらず面白く、レインズさんの変身シーンが見られたので良かったです。ゲームそのものをプレイするのに全く苦痛は感じないのにシナリオが……。

FF13はそのもったいなさ過ぎるシナリオで未だに消化不良を起こしています。WordPressが3にもなったことだしつらつらと書いてみます。ちょっと変な視点から。

物語としては割合とシンプルに、それぞれの心情が絶望から希望に変わっていくよね、という路線で流れています。
ただ問題なのは、キャラクターが独りよがり、というより内輪よがりであること。もし、説得力があればそれが大感動を及ぼす(かも)のですが、説得力がない。この原因について、いくつか考えてみました。とりあえず、今のところ2つ。

  1. キャラクターへの感情移入が小さい。
  2. 主要キャラクター以外から、彼らの思考を裏付ける存在がいない。
  3. バトルシステムがキャラクターへの感情移入を妨げたかも

まず、1について、プレイするときに使う「あたま」の量について考えてみます。簡単なものであればあたまを「使わない」し、難しいものであればあたまを「使う」と言いますよね。

ゲームの場合、

  • 攻略法を考える
  • 物語や設定を理解する
  • 実際に考えた方法を手指の操作に置き換える
  • その他、音楽や絵を楽しむ

といったことでであたまが使われています。もちろん音楽や絵が物語やバトルの手助けになって、あたまを使わずに済む場合もあります。

FF13はプレイヤーが意識出来るレベル以上に「あたまを使う」ゲームではなかったでしょうか?
まず、FF13の世界は未知の単語が飛び交う訳の分からないところから始まります。これらの用語を理解するために、「あたま」の処理が一部割かれます。さらに、バトルシステムが割と凝ったものになっています。もちろん、最初は簡単な説明から入りますが、スピーディーな展開で、かつXbox版では難しさの調整が行われているくらいです(笑)。かなりあたまの「処理」がそちらにも割かれるでしょう。

物語とバトルが同時並行ですから、シナリオやバトルなど、システムに要する理解にあたまが使われるため、情緒的、あるいは空想的な部分まで余裕がありません。しかも訳の分からない状況のまま、あっという間に逃亡者になり、あとはその「逃亡者」をひたすら続けるだけです。最初がごちゃごちゃしている割に話が単調です。二十時間、本当に単調ですよね…。
その頃には物語やキャラクターに対して一定の評価が決まってしまいます。何か訳の分からない状況で、キャラクターたちはやたら衝突しあうばかりで、好感度アップに繋がらない。状況がキャラクターにもたらした影響が分からないために、同意できないわけです。

さらなる問題は、そのように「訳の分からない」環境を説明するタイミングが遅すぎること。ルシになる前の13日間が回想として挿入されますが、かなり話が進んでからのことです。
その頃にはこちら側のキャラクターの評価(そして物語の評価)も定まっています。キャラか物語を好きになっていればよいのでしょうが、そうでなければさらりと流されるだけに終わってしまいます。物語やキャラの深化要因として、使えません。

さて、2について。
これはもう「独りよがり」シナリオだったことに尽きます。後半は六人だけで「よし行こうぜ!」と前向き視点になりますが、他に応援する人も、もはや聞く人もおらず、内輪に過ぎないんですよね…。
そもそもルシの使命とは何か?という意味について、分からなかったころもバルトアンデルスが教唆した後も、いろんな仮説を打ち出してあやふやにしたまま(いやプレイヤー側からすれば「……セラは呼び寄せるために決まってるじゃん」とかとうに分かってしまっているわけですが)コクーンに舞い戻るわけですが、その割には勝手に「召喚獣はこれこれこういう訳で出てくるわけだ」とか、「みんなで一緒に頑張れる」とか、そういう都合のいいネタだけは独り決めして勝手に進んでしまうわけです。
外部からの裏付けが全くない。
さらに、ファルシ憎しのルシのはずなのに、「私たちの使命はきっとコクーンを守ることなんだよ」と、ファルシから「与えられた」ものに基づいた行動原理を維持しているわけです。
この視点のぶれ。
ここで使命なんか関係なくコクーンを守るんだ!であればまた話は別だったかもしれません。

3については以前述べたので、概略だけ。
と、思ったらここには書いてなかったですね…。いや、私これコマ扱いバトルとコマ扱いシナリオの組み合わせは非常にうまくて、納得出来るけど、そのせいで感情移入できなかったかも、とオフで愚痴ったんですが、それこのサイトに書いたとばかり思ってました(笑)。
だからバトルとシナリオは同時並行で作られたのかな、と思っていたんですが、まずシナリオありきで、二人・三人のキャラ別パーティもシナリオ主導だったそうです。有名な話ですが、バトルシステムは「映像」にあわせて作ったと…お、お疲れ様です。よくそこからこんな凄いバトルシステムを…。

モトイ。
今回のバトルシステムは一人一人を注目するタイプではなく、キャラの組み合わせによってバトルする「メタ的」なものになっています。一人の特別扱いが難しいシステムで、まさにキャラクターをコマとして扱うシステムになっています。なので、バトルそのものからある一人への思い入れを持たせることが難しいシステムだと思いました。
さらに物語は群像劇で、(物語世界の中では)同時進行で様々なキャラクターが想いを語ります。もし求心役となる一人がいれば、それに基づいて物語を理解していくかもしれませんが、それが今回はない。さらに、様々なキャラクターが、様々な場所で同時並行で物語るとなると、「これまでの物語の記憶」と「現在進行の物語の理解」にあたまを割り振らなければならないわけですから、一人のキャラクターが物語るものよりも理解に用いられる「あたま」が少なくなり、必然的に処理が浅くなります。

…うーん、何につけても「シナリオを外から見る人はいなかったのか?」という残念な思いばかりが残ります…。

受け入れやすいゲームとは

ちょいとまとめてみました。

  1. つかみはまず分かり易いか、あるいはインパクトの大きいイベントから!新奇なことを始めるので(しかも単に物語を読むだけではなく、操作もある)、物語理解+新奇操作の認知処理を考える必要がある。わかりやすさ、インパクトはゲーム没入への動機づけも高めるし、物語に対して処理を割こうとする気持ちも大きくできる。その分、ゲームシステムは簡単に。
  2. 「世界をどうこうする」レベルのキャラクターの発言を説得させるためなら、出来るだけキャラクター内部で結論づけるのではなく外部のソースを明示すべき。(無論自分一人の心的世界で完結する話であれば別でしょう。)
  3. 新しい世界観において、めたらやたらに訳の分からない単語は使うべきではない……雰囲気を出したいのなら、最初に意味を定義しておくこと。
  4. 「実はこういう事情がありました…」はキャラクターの固定観念が出来上がる前にヒントを出しておくべき。

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