ハマウズマサシに至る私道

これまでずーっとやってみたかったものの、とりあえずなけなしの理性と良心と無知とが「やめたほうが……」と私を引き留めていたネタを、ついに解禁してみようと思います。
専門家から見たら鼻で笑われそうな記事ですが、とりあえず、ハマウズさんと似てるかなー、たぶんこのような好みから浜渦さんまで伸びていったのだろうなーということで、好きな作曲家でもちょこちょこご紹介してみようかと。

ご存じの方もいらっしゃると思いますが、私個人としては浜渦正志さんの音楽が癒し系であるとはこれっぽっちも思っていません。
むしろものすごい緊張感のある曲だと思っています。

なので癒し道に赴くのではありません。
このような考え方がお気に召さない方もいらっしゃると思うし、もともとひねくれた浅い音楽的背景を持ってるので「なにこの付け焼き刃的な知識で」と不快な思いをされる方もいらっしゃると思うので、そういう方は回れ右プリーズ。

まずはご本人も、意識していないのに影響を受けたのでは?と言われたというラヴェルとバルトークについて。

ラヴェル

(WWIの)トラック野郎。おもちゃ好き。超・几帳面な人。なにげに愛国者。なにげにハンサム。なにげにピアノ下手←実際に録音残っていますので、興味がある方は……。
一体どういう認識しとんのですかね、私は。とはいえ、昔から好きな作曲家で、昔からなんとなく親しみを覚えてきた人です。
で、ハマウズさんとどこが似ているかといいますとねぇ……えーとどこだろ(笑)?
聞けばなんとなく分かるかなーという気もします。
一つ一つの楽器に何をさせるのか、を明確なヴィジョンとして持っているとことか。単純に同じメロディを違う楽器に歌わせるだけ、ということが少ないと思います。
フランス風の軽やかさもありつつ、そのくせ冷静すぎるほどの枠組みもありつつ、バスクの血を引く民族性の熱さもありつつ、その中でぴん、と芯が光るような感じ。
ドビュッシーとよく並び称されているし、実は某所では浪速のドビュッシー浜渦正志と呼ばれているようですが、ハマウズさんはラヴェルだろ!と私は言いたい。
彼の音楽には、古典的な端正な構造の上に、癖のあるリズムと、行き過ぎない不協和音、ジャズ風味、水の冷たさを感じるような硬質さ、ぴんと張り詰めた糸があります。理性と、そこからこらえきれずに溢れ出てしまった愛がちらりと姿を見せるようなものが同居しています。
この人といえばボレロが一番有名ですが、個人的にもっともおすすめしたいのは「クープランの墓」。オケ版ではなく、ピアノ版で是非。なんとも言えない無常感が好み。
そう、この人、冷静な切なさを歌うのがすっごい得意なんですよ!! なんというか、知性的な悲しみというか!(自分が持ってないからあこがれるわけです)
ワタクシ思うに、この人オーケストレーションが抜群にうまいのに、自作ピアノ曲をオーケストレーションしたものって原曲よりよくない気がするんですけど気のせいでしょうか……。「亡き王女のためのパヴァーヌ」もしかり。いや、悪いとは言わないけどね、ピアノの硬質さがなくなってしまって妙なほど感傷的になってしまうというか。
どこか理性の残っている音。それがラヴェルの音であり、ハマウズさんもその音を持っている、と私は思っています。

バルトーク

ハンガリー人。最後はナチを避けるためにアメリカに渡って白血病で極貧の中で死んでしまいます。その頃、彼の音楽はまだ一般にはそう簡単には理解されなかった様子。かわいそう!!
民族音楽を一杯採集して研究しており、黄金比とかにも凝っているという分厚い学問的バックグラウンドの上でその民族音楽の強烈なパワーを炸裂させてます。たぶん。
私個人としては、その爆発的民族パワーを数学の網にかぶせて鳴り響かしたというイメージ。
だから、彼の音楽は強烈な民族文化のパワーがあるにも関わらず、ローカルなものにとどまらずに普遍的なものになったのではないか、なー。
なんて勝手に思っていますが、シェーンベルグ好きの自称コンポーザー(アメリカ人)に言わせると「ありゃ民族音楽でしょ、数学関係ないでしょ」と言っていますので、正直私の意見はあてになりません。
でも、やはりこの人の音楽は端正な土台、構造を持つ上でのパワーという感じがするんだよなあ……。そのせいかもしれませんが、抑えようとする構造と、はじけようとするパワーとで、緊張感がとても強い。
バルトークで有名なのはピアノ曲では「ミクロコスモス」などなど。個人的にはピアノコンチェルト全部好きです。あと無伴奏バイオリンソナタもいい。ラヴェルは「心地よい不協和音」ですが、こちらは「えっ、そんな不協和音!」みたいな、しかし力で押し切るような説得力のある音楽です。
後期の絶対音楽的な、素っ気ないタイトルのオケ曲は名曲揃い。また、基本的にオペラ嫌いですが、珍しくバルトークの「青ひげ公の城」は好き。
最近はまっているのは、ピアノコンチェルト3番の2楽章です……あまりの天国的な美しさに涙が出そう。(出ません)

そして、ブログ検索していてニヤリと思わず同意した人として。

ピアソラ

タンゴの革命児。タンゴを殺した男。その他諸々。
いやぁ、前々からちょっと似てるんじゃないの?とは思ってはいたんです。
ハマウズさんタンゴ調の音楽作られるしね。
この人のバックグラウンドもなかなか複雑で、アルゼンチン生まれでニューヨークに渡ってジャズに親しみ、でもタンゴに親しみ、しかしタンゴはどうも見下されてしまうから(上昇志向が強かったんだね)、クラシックの作曲家になりたい!とフランスに行ったら「いや、あなたはタンゴを捨てては駄目!」と慧眼の恩師に言われてその後革新的なタンゴの道に突き進んだそうです。それでも自分の音楽はなかなか理解されなかった、とライブ録音のスピーチにも残っています。
この人の音楽は、タンゴの強烈なビートの基礎とバロックの構造がある(だそうです)。疾走感や倦怠感も表現しています。
そしてジャズ的なものもあり(これはピアノを聞くと分かります。ジャズピアニストを使っていて、もんのすごいかっちょいいのです)、と、基礎がありつつジャンルにとらわれない革新的な音楽を作ったそーです。私には革新的とかかんとかと言われても分かりませんが、ちょーかっこぇええええ!と今大はまり中。
有名なのはヨーヨー・マでおなじみ(でもないか?:周りの人に聞いてみたところ、ピアソラというのはあまり有名ではないと分かって衝撃を受けたばかり。自分の視野の狭さを反省しました。自分がCMで知ったからといって、みんなが覚えるわけじゃないんだよね)リベルタンゴですが、個人的にもっとも好きな曲はプンタ・デル・エステ組曲の第2曲「コラール」。美しい、祈りを捧げているような切ない音楽です。
あと、「chin-chin(乾杯)」という曲がえっらいかっこいいです。下ネタ禁止ですよ、念のため。

で、この人たちの共通点というのは

  • ジャンルにとらわれすぎない。
  • 自分のよりどころ、文化的基礎となるものをしっかり持っている。
  • 伝統……というか、古典的な端正な構造を土台としている。
  • 強烈なアタックのあるピアノ
  • 緊張感がある
  • ある種の原始性を持つ

あー、文章にするといまいちしっくり来ませんねぇ。
大切なことが抜けているような気もしないこともありません……。

なんか偉そうに書いた後に急激に恥ずかしくなってきたわ……。

他にも「ハマウズさん好きならこの方も是非!」というのがあればお教えくださいな。

……あ、しかし、ハマウズさん好きなら光田さんも、という思考であれば、正直上に挙げたラインナップはまーったく邪道です。ごめんなさい。

むしろ、違うとは思うけど、ハマウズさんと仲野順也さんの音楽は相性がいいなあと感じてはいますが。

浜渦さんの音楽は、私にとっていろんな意味でとても大切です。
知識からついつい入ってしまう自分(苦笑:自覚してます)なのに、ハマウズさんの音楽は名前も何も分からないうちにちゃんと私の中に居座ってくれて、未だに大好きな音楽であり続けてくれている、という、知識などに目くらましされないで自分の感情に従った上での「好き」。自分の耳を信じたこの「好き」を大切にしていきたいのです。

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